モアミザン堀の"独自解説!キネマブック"

映画を観た感想をつらつらと書くブログです。

番外編 「今日は…」

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今日は8月6日。

今から72年前の1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分に米軍による広島市への原子爆弾投下が行われました。

リトルボーイ」と名づけられたこのウラン型爆弾は、人類史上初である都市への核攻撃であり、投下後から1945年末までで、9万~16万人の方が犠牲になられました。

今尚後遺症に苦しむ方は大勢居て、決して過去のことで片付けて良い話ではありません。

 

私自身も勉強の為に広島、長崎両県の資料館へ足を運び、3年前の2014年には慰霊式典へ参加するために広島へも行きました。

その日は朝から物凄い土砂降りでしたが、それでも約4万5千人の方が参列されたとのこと。

(トップ画像は2014年の1月に広島へ行った際、撮影したものです)

 

その為今日は番外編とし、72年前を振り返る意味で原爆を取り扱った作品の中から2作品をご紹介します。

 

ひろしま

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1953年、関川秀雄監督作品。

主演は月丘夢路

 

とある高校にて、1人の生徒が白血病で倒れたことをきっかけに、原爆の後遺症に苦しむ生徒たちを描く。

 

終戦から8年という短い期間で映画化されるという、なかなかに大きな決断がされた映画です。

前年までGHQプレスコードを敷いていたこともあり、一部演出のカットを要求されたものの譲らず、結局全国上映ではなく広島、長崎は自主配給という形で上映されました。

 

多くの人の目につかなかったという点では残念ではありますが、人の目につくことの代償に伝えるべきことを捻じ曲げてしまうという結果にならなかったのは大変素晴らしいことだと思います。

また、主演の月丘夢路広島市出身ということもあり、ノーギャラで出演したそう。

 

被爆直後の惨状は映画とは言え筆舌に尽くし難く、ただただ恐怖を覚えます。

これほど残酷なことを、人間が同じ人間相手に出来るのかと戦慄します。

 

また、今作の音楽は伊福部昭は担当しており、後の「ゴジラ」でも一部転用されています。

少々脱線しますが、初代「ゴジラ」も根底にあるのは先の大戦です。

ゴジラは水爆実験で誕生したいわば負の遺産、そしてゴジラが上陸するルートは1945年3月10日の東京大空襲でのB-29の侵攻ルートを元にしてあります。

 

このように、この頃の作品には、こうした「反戦」のメッセージが明確に込められた気骨のある作品が多数あります。

今の作品にないとは言いませんが、直接経験した人達の伝えるメッセージは重みが違うのではと思います。

そうした作品に触れ、アクションを起こすのは難しいなれど、「知る」「考える」という1歩から始めてもいいのではないでしょうか。

 

ヒロシマナガサキ

 WHITE LIGHT/BLACK RAIN

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2007年、スティーブン・オカザキ監督によるドキュメンタリー。

監督自身がインタビュアーとなり、広島、長崎の被爆者14名と投下に関与した米国側の4名に取材されています。

2007年8月6日にHBOによって全米に放映されました。

 

被爆者の中には恐らく若い世代なら誰もが読んだことのあるであろう「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんもいらっしゃいます。

 

ナレーションやコメントは一切なく、インタビュー映像のみ。

しかも日米双方。

これは大変画期的だと思います。

日本で見るものは大概我々の目線からのものばかりな印象です。

より深く掘り下げた内容になるのでそれは決して悪くないのですが、戦争という性質上、どちらか一方の意見だけを取り入れても偏った考えになりがち。

そこで両方の意見を取り入れればより一層客観的に物事を見ることができる。

その意味でもこの作品は十分価値のある作品だと思います。

 

アメリカでは「原爆投下が日本の降伏を決定付け、自軍の損害を最小限に抑えることができた」という意見がかなり多く見られるようです。

我々からしたら「何を言ってるんだ」レベルの話ですが、アメリカからすれば十分に信憑性のある、信じるに値する考えなんですね。

 

もしかしたら永遠に分かり合えないかも知れませんが、知らずに拒絶するより知ってから考えるのも良いと思います。

 

映画を観ていて残念に思ったのは、冒頭、平和で豊かになったこの国の若者たちに、監督が「1945年8月6日は何があった日か知っているか」という、よくあるインタビューを行う。

そこで「え~分かんな~い」という意見が普通に出るのだ。

まあ導入ですでに知ってる奴がいっぱいだったらそれはそれで出鼻をくじかれるんだが、それでも知らない奴が「普通に」居るのが衝撃だった。

そりゃあ俺は自分から調べたりしてたから知ってて当たり前だったが、他の人からすれば決して「当たり前」じゃないんだなあと痛感した。

 

しかし、これは知らなかった若者を責める事は誰も出来ないと思う。

誰もが小学生とか小さいうちから夏休みに学校へ来て平和学習をしたり、修学旅行で学習したりと何かと学習「させられる」ことが多かったと思う。

そういった感じで「受動的」に学習しても決して理解はできない。

俺も小学生で学習した時より、大人になって自分で調べ始めた時の方が理解は深めやすかった。

結局学校で学習することは、本格的に知るための「きっかけ」にしかならない。

そこで何かしらひっかからなければ、それから気に留めることもなくなるだろう。

そういった学習の場から理解する機会に、何か工夫を出来れば理解はもっと深まると思う。

 

 

この2作品を観ると、改めて人類の生み出した「核兵器」は、当初人類が考えていたより重大な意味を持つものになり、手から離れるか離れないか絶妙なバランスを保ってしまっていると思う。

手の離しかたを間違えればその先にあるのは文字通り破滅である。

廃絶を願いながらも実際は未だに大量の核兵器保有されている。

完全な廃絶が実現できた時に、初めて「平和」への1歩が踏み出せると思う。

これからすべきことは、廃絶を含めた核と人類のあり方を見つめなおすことではないだろうか。

 

ちょっと最後独り言が挟まりましたが、8月という時期は何かと過去を省みる機会が多くあります。

そんな時に、上述の2作を含めた作品に触れ、知るきっかけになればと思います。